今日の雑感記事

・昨日も言ってたけれど、今日も言っておこうと思う。

 昨日遂に大学の授業が始まってしまった。

 こういう風に書くと「じゃあ大学をやめればいい」と思うかもしれないから、

 ちゃんと弁明はしておこう。

 何事においてもそうだと思うけれど、

 自分のしたいことだけ出来ればそれに越したことはないのだ。

 ぼくは大学でしたい勉強があったから、今の大学に通わせてもらってるし、

 大学の授業がスタートすること自体は嫌ではない。

 問題はやりたくない事もやらないといけないのが世の常で、

 そういう意味で大学の授業が始まってしまったと書いている。

 

・さて何の身にもならない弁明はさておいて、

 今日はちょうど始まった授業でやった成長と発達の違いについて話そうと思う。

 ここから話すことは学校教育心理学についてのお話だから、

 国語辞書の解説とはちょっと違うかもしれないとは先に言っておこう。

 教育心理学における成長と発達の違いというのは身体を対象としているのか、

 精神を対象としているのかというところだ。

 成長というのは身体の成長、つまり外見的な変化が中心で量的な変化ともいう。

 身長が伸びたり、体重が増えたり、ひげが生えてきたりというのが

 成長に当てはまるわけだ。

 一方で発達は精神の変化、つまり内面的な変化が中心で質的な変化ともいう。

 ぼくらが小学校の時はそこまで気にしなかった異性のことを中高生になると

 急に意識しだしたり、反抗期になったりというのが一例だね。

 

 こうやってみると成長と発達というのは心理学界では大きく違うように扱われている

 事がよくわかる。

 どうしても国語的に考えると似てる風に捉えがちだけど、

 外見か内面か、量か質かという風にきっぱり分けられている。

 こうやって考えると言語って不思議だなと改めて感心させられる。

 なんせ同じ国で同様に言葉を使っているはずなのに意味が違うんだからね。

 あぁこんなことばっかり大学で調べられたらいいのに・・・

 と憂鬱になりながらだけど、心身をちょっとずつ合わせようと頑張ろうかな。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

やりたくない事からやりたい事に意外と繋がったりするから何事も一生懸命やってみるべきだよね。 

今日の雑感記事

・ついに今日から学校が始まる。

 友達の中には取る授業の関係上、今日はお休みという人も居る。

 なんにせよぼくの秋学期は今日から始まるのだ。

 始まるからといって別段目標を立てるわけでもないが、

 春学期と同じように学校の勉強と並行で資格の勉強もする。

 就職活動を見据えてというのもあるのだけれど、

 ぼく自身が商学に多少なりとも興味があったから日商簿記の勉強をしようと思った。

 

 資格というのは持っていれば持っているほどいいという風に思われがちなんだけど、

 どうやらそうでもないらしい。

 あくまで飲み屋で出会った人事をやっている人に話を聞いただけだから、

 風のうわさぐらいに受け止めてくれると嬉しい。

 その人が言っていたのは資格をたくさん取るのは別に構わないし、

 それだけ知識もあるということの証明になるからいいとは思う。

 問題はその資格を取った理由がきっちり話せるかどうか。

 特に行ってる学部と合わない資格を取ってる場合は指摘したくなるらしい。

 指摘した時にちゃんと説明出来なかったら就活の為に

 とりあえず取ったなという風になってしまうと。

 

 その人が本当に人事をやっている人なのかどうかはぼくにはわからないけれど、

 スーツは来ていて歳は40くらいだったから一般的な社会人の一感想としては

 価値があるんじゃないかと思う。

 その人の話をまとめるとするならば、資格を取るにしても明確な理由をもって

 取った方がいいということになる。

 当たり前な話のような気もするけれども、わざわざそんな話をするということは

 きっと出来ていない就活生のほうが多いということなのだろう。

 就活をする人もしない人もきっと居るだろうけど、

 何をするにも明確な理由をもってというのは大事なんだろうね。

 

 この話を読んで、ちょっとでも何かのきっかけになればいいと思う。

 ぼく自身がこの話を書くために話をどんな風にされたのか思い出していたから、

 おかげでもうちょっと気をつけないとなぁと思ういいきっかけになった。

 もちろん一社会人の個人的感想だから全てを鵜呑みにする必要はないとは思うけど、

 ちょっと考えるにはいい機会だと思いませんか。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

こういう話を気軽に聞けると老け顔も得だよねって思います。

今日の雑感記事

・ずっとずっと言い続けている話だし、ここでも何度も言ってる話だとは思うけど、

 ぼくはファッションというものにすごく疎い。

 日本酒や美味しいご飯のお店について聞かれれば、

 それなりに答えることのできる自信はあるけれど、ファッションはからっきし。

 大吟醸純米大吟醸吟醸純米吟醸本醸造・純米の違いは答えられても、 

 ズボンとパンツとボトムとスラックスの違いなんて全く分からない。

 

 そんなぼくがこの間ついに友人に頼んで服を見繕ってもらうことにした。

 その友人と服を選びながら言われていたのは「服の選択も思考も年寄り」だった。

 まぁ確かにこの年齢で趣味はお酒飲んで美味しいもの食べて温泉に入る事だったり、

 服は基本黒・白・紺を選んだりしていたらそう言われても仕方ない気はする。

 結局、普段なら買わないような服を買うことが出来て大満足ではあったんだけどね。

 やっぱり分かる人そして自分とは違う感性の人に見繕って貰うというのは大事で、

 自分には想像もつかないようなものを提案してくれる。

 どうしても受け付けないのなら断ればいいだけの話だから、

 とりあえず試してみると意外とよかったりして新しい世界が広がる。

 そうするとそれについてもっと知りたくなるからもっと勉強をする。

 やっぱり餅は餅屋なのだと感心していた。

 

 ただ餅は餅屋とはいえ、友人だからいいわけであって店員さんになると話が変わる。

 どうしても店員さんと話をしていると自分に勧められているのか、

 それとも単に売りたいだけなのかがわからなくなってしまう。

 もちろん要らないのなら断ればいいだけなのだけれど、

 すごく勧められると無碍にするのもなぁと思ってしまう。

 それがぼくが服をあまり買いに行かない理由の一つだったりもしたんだけどね。

 そういう意味では一緒に買いに行ける友人というのは心強い。

 掛け値なしに似合う似合わないをきっちり言ってくれるから、

 こっちも安心して買う事が出来る。

 

 そんなわけで今日はその友人に感謝を込めながら餅は餅屋の話でした。

 上方いろはかるたの一つでもあるらしい。

 私信を今日は書きすぎちゃったね。

 明日からはまた知識の話もちゃんと混ぜようかな。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

餅は餅屋だけど服は服屋より友人かもしれませんね。

今日の雑感記事

・昨日の晩はなんとなくではあるけれども「自炊」をしてみた。

 なぜ「料理」をしたと言わないかというと、焼くか炒めるかしかしてないからだ。

 スルメイカを捌いて山芋と焼く。鶏肉としめじを一緒に炒める。

 お酒のアテが欲しかったというのと、お酒を呑みながら「調理」をしていたから

 このようなチョイスになってしまった。

 お酒を呑まない予定ならご飯とお味噌汁を中心にもうちょっとマシな「料理」

 をしていた自信はある。出来ていたかどうかは別としてね。

 

 そういう風に考えると今回は料理の話だったけれども、

 似ているようでちょっと違うものって結構あると思う。

 「自炊」と「料理」と「調理」とか「研究」と「勉強」と「調査」とか。

 何がどう違うのかを何も見ずにきっちりと説明出来る人は少ないと思う。

 実際ぼくも調べるまではなんとなくでしか説明できなかったからね。

 日本語が母語のはずなのにちゃんと説明の出来ない日本語があるというのは

 もちろんあって当然なのだけれど、どうにもむずがゆい感じがする。

 

 例えばぼくらが英語の「look」と「see」と「watch」の違いについて

 説明を出来なくても、きっとそれはなんとも思わないのだろう。

 むしろ説明が出来る人を見れば、「ああ、この人は英語がわかるんだな」って

 思う人も居るかもしれない。

 だってぼくらは英語を日常的に使ってるわけじゃないからね。

 しかし「見る」と「観る」と「視る」の違いについて説明が出来なかったら、

 やっぱり違和感を感じる。

 「欣喜」と「僥倖」の違いは説明できなくてもしょうがないと思うんだけどね。

 

 要は母語として使ってる言語で簡単なものぐらいは

 ちゃんと説明できるようになりたいというお話でした。

 一体どこまでを簡単としてどこからを難しいとするのかはまた別の話だけど、

 それでも日常的に使う単語の意味ぐらいはきっちり説明出来るようにしておきたい。

 それこそ「調理」と「料理」と「自炊」みたいにね。

 そうなると今日のぼくの晩御飯はやっぱり「調理」になるんだよね。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

最近はめっきり「料理」をしなくなったけど、「調理」方法はバイト先の見様見真似で覚えちゃったよね。

今日の雑感記事

・ぼくらの夏休みも残すところ3日を切ってしまった。

 たくさん遊んだ人、たくさん飲んだ人、たくさん部活をした人、

 たくさんバイトをした人、たくさん勉強した人、色んな人が居ると思う。

 やりたいことが出来て充足感に浸っている人も居れば、

 もっとやりたいことがたくさんあった人も居るかもしれない。

 ともあれもう3日もないのだ。もうすぐ学校が始まり、自由ではなくなる。

 次は冬休みまでまた頑張って行こう。

 

 そんなわけで夏休みに入ってから何をしていたのか思い出していたのだけれど、

 バイトと甲子園と静岡旅行でほとんどだった。

 もちろん他にもあるにはあるけど、大きく占めていたのはこの3つかな。

 ぼくの試験が全部終わって、休みに入った瞬間からバイトを山ほどいれた。

 8月は31日中22日はバイトに赴いていた。

 休みはお盆と甲子園関連で取った数日を除けば、ほぼ週1回のみ。

 それもこれも静岡旅行で使うであろう予算をカバーするためなんだけどね。

 それに家に居ても特にする事がないし、外へ遊びに行くにはお金が必要になるから、

 それならバイトをしている方がお金は稼げるし、バイト先の人たちと話も出来るから

 一石二鳥以上の価値があるというわけだ。

 

 甲子園は大学生になってから見るようになりだした。

 きっかけは友人に誘われて甲子園の決勝を観に行ったことから。

 昔は高校野球なんてって思ってたけど、最近は頑張ってる球児を応援したくなる。

 これが歳なのかなん何のかはわからないけれど、たぶん歳なのだろう。

 気が付けば高校球児も年下になってしまったんだからね。歳をとるのは早いよね。

 そんな話をバイト先の人に話をしていると

 「俺なんて監督が年下の人も居る」って返ってきたから皆そう感じるんだなって。

 

 静岡旅行は一人旅だったけど、すごくいい経験になった。

 ここにもずっと書いていたけれど美味しいもの食べて呑んで、綺麗な景色見て、

 気持ちのいい温泉に入って、自分の好きなように過ごす。

 全てが自己責任、そこが一人旅の醍醐味だとぼくは思ってる。

 

 みんなの夏休みはどうでしたか?振り返ってみませんか?

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

夏休みに入ってからTwitterを触る頻度は凄く減ったよね。

今日の雑感記事

・よく努力は裏切らないとは言う人が居るけれど、

 それはあくまで正しい方向への努力に限られるだろう。

 大半の人がこれぐらいのことはわかっているとは思う。

 努力は裏切らないにはもう一つの問題がある。

 それは目先の結果にだけ囚われてはいけないということだ。

 

 これに関しては完全に持論になってしまうから、

 きっと同感できない人も居るとは思うけれど聞くだけでも聞いて欲しい。

 一番簡単な例が試験勉強だ。

 どんな試験でもいい、それが入学試験だったり資格試験だったり。

 例えばその試験勉強をしたけれども、成績がよくなかったとしよう。

 そうなると大抵の人が努力が報われなかったと考えると思うし、

 もちろんぼくも基本的にはそういう風に思う。

 

 でもそれはあくまでその試験に対する結果でしかぼくらは見てないのだ。

 広く見ればその試験なんてのは人生の中のたった一つなのだ。

 もちろんそのたった一つの試験で人生が決まる場合もある、

 だからといってその試験で生死が決まる訳でもない。

 要は死なない限り、その試験に向けた努力というのは必ず血肉になるのだ。

 その試験勉強をするために磨いた集中力だったり、

 その試験で良い点数を取るために溜めた知識というのは

 今後どこかで役に立つかもしれない。

 

 だからダメだった時はダメだったんだなぁ、

 でもどこかで役に立つかもぐらいにポジティブ考えるといい。

 その時の努力が裏切ったかどうかなんてのは死ぬまでわからない。

 だっていつどこでその時の努力が活きるかわからないからね。

 案外すぐに役に立つときが来るかもしれないよ。

 

 昨日一昨日と知識のお話したし、今日はこんなお話でもいいよね。

 どうしてわざわざこんなお話をしだしたかというと、

 友人が珍しく弱音を吐いていたからというのが理由だったりする。

 励ますわけではないけれど、

 きっとその努力は今回はダメでも必ずどこかに結びつくと思うし、

 ぼくはそこまで努力できる姿勢は本当に羨ましいと思う。

 誰にでも出来る努力なんていうのは案外少ないものだよ。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

最近は身体を柔らかくする努力をしているけれど、なかなか柔らかくならないよね。

今日の雑感記事

・先日、バイト先でお世話になっている人にお土産を渡しに行ってきた。

 あまり会えない人だから何が好物なのか聞くことも出来ずに旅行に行ってしまい、

 旅行先でとても悩みながらお土産を買った記憶がある。

 その時に悩みながらお土産を買うのも楽しみの一つだと思った。

 

 何を買うべきか決まってる人に対してはそれはそれで楽でいいんだけれど、

 楽な代わりに喜ぶ顔も容易に浮かんでしまう。

 逆に何を買うべきか決まっていない人に対しては凄く悩む。

 好きか嫌いかだけではなくて、邪魔になるかとか貰って重過ぎないかとか。

 それだけ渡したときに喜ぶ顔を見れるとすごく嬉しい気持ちになる。

 もちろん容易に浮かぶから嬉しい気持ちにならないわけじゃないんだけどね。

 それに何を買うべきか決まってるとは言っても、種別に決まってるぐらいだから

 実際にはそれなりには悩んでいる。

 例えば日本酒が欲しい!って言われても、どの銘柄がいいかとかは悩むからね。

 

・さてここまで「お土産」と書き続けてきたけど、

 「土産」と書くと読み方が変わることもあるという事は知っているだろうか。

 実は元々「どさん」もしくは「とさん」と読む漢語で「土地の産物」が由来なのだ。

 「みやげ」と読むようになったのは室町時代以降で語源には諸説あるらしい。

 ということは「どさん」もしくは「とさん」と読んだり書いたりしても、

 あながち間違いではないということになる。

 あくまで「土産」という字だけで書かれている場合に限るけどね。

 「お土産」「手土産」「土産話」の場合は「みやげ」と読まないといけない。

 ここの違いは何なんだ!って言われるとぼくもよくわからない。

 月並みな感想だけど「土産」の前や後ろに語がくっついたりすると変わるのだろう。

 

 そんな訳で今日はお土産について色々話をしてみた。

 今日はちょっとした実験で前半に自分のお話を、後半に知識的なお話と分けてみた。

 取り扱う題材にもよるんだろうけど、意外と出来るものだね。

 知識的なお話をしても面白くないし、ぼくの話ばかりしても面白くはない。

 ちょっとずつ面白い記事を書けるように、これからも努力していこうと思ってます。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

起承転結の結の部分が弱いのは昔からの癖です。

周りから「君の話にはオチがない」と言われ続けて21年ですから。