首の痛さとストレス

・ここ数日、ぼくは首から下顎にかけて痛みを感じている。

 逆流性食道炎を患っている話を前にもしたと思うけど、

 その影響で食後3時間は横になることが出来ない。

 でもお昼食べた後って凄く眠くなるからどうしても寝たい。

 じゃあどうするのかっていうと椅子にもたれかかって寝るのだ。

 これを繰り返してたからか、たまたまその時の姿勢が悪かったのかしてこうなった。

 逆流性食道炎もそうだけど全くもって自業自得である。

 

 今まで寝違えて首の後側を痛めたことはあったけど、

 首の前側しかも下顎にかけてを痛めるなんてしたことがない。

 首の後側の時は首が痛いなぁで済んだけど、今回はそうもいかない。

 特に下顎が痛いというのが非常に厄介で、喋っても飲んでも食べても痛い。

 なんなら唾を飲み込むだけで痛みを感じる。

 そしてこれは接客業のアルバイトをしているぼくにとっては致命的でもある。

 

 接客業はお客さんとコミュニケーションを取るのも仕事の一つだから

 どうしても喋らないと仕事にならない。

 ただ現状喋ると下顎が痛いのだ、しかも痛いという事は呂律も若干怪しくなる。

 正直休みたい気持ちは山々だけど、痛いだけでは休めないからこれまた大変。

 しかもぼくの楽しみは食べることと飲むことなので、

 この痛さによるストレスの発散すらまた新たなストレスを生んでしまう。

 つまり八方塞がりの状態だったりする。もうどうしようもない。

 

 ここまでずっと痛い話をしてきたけど、

 書くことによって若干のストレス発散にはなった。

 よく人に話すとスッキリするっていうけど、

 あれって話さなくても意外と書くだけでも十分なのかもしれない。

 とりあえず今の自分の辛いことを誰かに共感して欲しい、

 もしくは誰かが見てくれる聞いてくれるだけでいい。

 そう考えると人ってのは案外強い生き物なのだろう。

 だって不特定多数の相手だとしても自分の辛さを聞いたり見てくれるだけで

 ストレスが軽減される生き物なのだから。

 まぁぼくのこのストレスが軽微だと言われちゃったらそれまでなんだけどね。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

明日は明日の風が吹く。これぐらいに考えたほうが生きやすいでしょうね。

お盆の終わりとお土産話

・お盆休みも大体の人が終わって、この時期は憂鬱としたムードになる。

 開店前の準備中のラジオでもお盆の話ばっかりで、

 お盆にどこに行ったとか今日からまた頑張ろうとか言ってたりする。

 開店したらしたで、久しぶりの仕事に疲れたであろう人たちがたくさん来る。

 もちろん大学生のぼくらにはまだ縁遠い話だけど、

 もう2.3年もしたらこうなるんだろうなあと思いながらお昼のお客さんを見ていた。

 

 そんなお盆明けシーズンでもぼくには一つ楽しみがある。

 それはお盆のお土産とお土産話だ。

 ぼくのバイト先はバイト先なだけに、お土産はやっぱり食べ物になる。

 ごはんやお酒のアテだったり、ちょっと有名なところのスイーツだったり。

 行くところがみんなそれぞれ違うから、

 それぞれが買ってきたものをみんなで食べて感想を言い合う。

 これはお酒に合いそうとか、これは生地がサクッとしていて美味しかったとか。

 こうするだけで次にここに行った時はこれを食べようというのが決まるから面白い。

 

 そしてもう一つ楽しみなのがお土産話。

 人の話を聞くのがそこまで得意じゃないぼくでもこれはいつも楽しみにしている。

 旅の計画の立て方なんてのはその人の家族構成にもよるから、

 ぼくの一人旅では思いつかないような所に行ったり手段を使ったりする。

 もちろん一人旅は気楽だけど一人だと行き辛いような場所や使えない手段もある。

 そういう場所へ行ったり、手段を使った生きた話を聞くことができる。

 これはよかった、これは微妙だった、ここはもう一回行きたいとか。

 本の話でもしたけど、実際に行ったり使わないとわからない事だらけだからこそ、

 生きた話は聞いていてとても楽しい。

 

 高校時代はもうすぐ学校が始まるから友達のそういう話も聞けるけど、

 大学になるとまだ一ヵ月も休みがあるからちょっと寂しい気もする。

 その分時期を外して旅行が出来るし、なにより短期留学をするには絶好の期間だ。

 残念ながらぼくは留学することはなさそうなんだけど。

 明日も色んな楽しい話を聞けたらいいなあ。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

お土産考えてる時って旅をしてる間で多分一番頭使うけど、凄い楽しいよね。

変化のある生活

・ちょっとした機会があったので去年飲んだお酒を今年も飲んでみた。

 銘柄はもちろん使ってる酵母酒米も同じお酒だ。作った年だけが違う。

 ここまで読んだ人はきっと「同じ味や香りがするんだろうな」と思うだろう。

 もちろんそれが正しい判断で、ぼくも実際に飲むまではそう思ってた。

 日本酒に精通している人から「作る年によって味も香りも似てるけど違うんだよ」

 とは聞いていたけれど、心の中では「そんなわけ」と思ってたぐらいだしね。

 

 でも実際に飲んでみると、確かに似てるけど別物を飲んでる気がした。

 このことを伝えてみると「お酒はもちろん毎年違うけれど、ぼくらも毎日違うし、

 特に若い君はこの一年でたくさん吸収したから違うことに敏感なのだろう」

 と言われた。

 この話を聞いて「なるほど」と思いつつ、もう一つ思うこともあった。

 

 それはぼくらも毎日違うというところだ。

 ぼくらが毎日違うという事は、もちろんぼくらを取り囲む環境も毎日変化している。

 そう考えるとこの世の中に全く同じものなんて存在しないことになる。

 ぼくらが同じだと思っているものは目に見えないレベルで日々どこか変化していて、

 そしてそれは同じものではなくなっている。

 そのことに気づく人もいれば気づかない人もいる。

 もちろん人によるけど、例えば料理人は食材の鮮度が違うことに気が付きやすいし、

 医者は患者の些細な変化に気が付きやすい。

 こうなりたいかは別として日々の些細な変化に気づく人は居るという事だ。

 

 じゃあぼくらが気づいていないかというとそうでもない。

 でもきっとぼくらは変化に気づいていても気づいている自分に気づいていないのだ。

 気づいていないのか気づいていないふりをしているのかはわからないけれどね。

 少なくとも気づかないことでぼくらは違う事を認識せずに済む。

 認識してしまうと変化が起きた!と思って、

 自分の中で色んな変更を行わないといけないからね。

 変化のない生活は楽だけど、つまらない。変化のある生活は辛いけど、楽しい。

 みんなはどっちの生活をしたい?

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

ぼくは楽で楽しい生活をしたいと思っちゃうあたり、ぐうたらだよね

大人目線と子ども目線

・先日、泉が丘にあるハーベストの丘へ花火を見るために行ってきた。

 ぼくは昔そっちの方に住んでいたことがあるので、

 ハーベストの丘自体は初めてではなかったのだけれど、

 もう10年ぶりぐらいだったので中に何があるかなんて全く覚えてなかった。

 ただ泉が丘駅に着いたら不思議と懐かしさを感じたし、

 いざ中に入ってみるとそういやこんなのあったなぁなんて思った。

 

 さてハーベストの丘ってどんなところ?と思う人も居ると思うので説明しておくと、

 体験型動植物園というのが一番しっくりくる。

 ヤギやラマ、牛やなどの動物が居て触ったり、おやつをあげることが出来る。

 またぼくが行ったときには既に時期とはズレていたのだけれど、

 満開のひまわりが見れたり、いちごや野菜の収穫も出来る。

 果てはパン作りやソーセージ作り、陶芸体験まで出来るから凄い。

 子連れが多かったけど大人が行っても楽しめるところなのは間違いない。

 

・こどもの頃に行ったときは凄く広かったイメージがあったのだけれど、

 先日行ったときはむしろ狭く感じてしまった。

 よく子ども目線大人目線とは言うけど、あの時はそれを顕著に感じた。

 子どものときはとても広く感じたものも、

 大人になって来たら2時間ぐらいで回り終わってしまった。

 何もそれが悪いわけではない。でもなんだか寂しく感じるのだ。

 

 もちろん大人になってたくさんのことが出来るようになるし、

 たくさんのことを考えられるようにもなる。

 でもそれは大人目線での話で、子ども目線では出来なくなってしまったこともある。

 それを成長とも言うのだろうけど、やっぱりそれはそれで寂しい。

 時には子どものような無邪気さ、つまり子ども目線が必要になるときもある。

 必要な時に引っ張り出してくるのはとても難しい。

 だからちょっとずつでいいから残しておかないとね。

 どこか失くしたものを感じた、そんな一日でした。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

ちょっと歩幅を小さくして、下の目線で世界を見てみる。それだけで何かがガラッと変わるかもしれませんね。

妥協と身の丈

・人生は妥協の連続なんて誰が言い出したのかは知らないけれど、

 ぼくはそう思わない。

 さらに詳しく言うなら半分正解だけど半分間違ってると思う。

 

 半分正解というのは実際にぼくたちは毎日何らかを決断し、

 思い通りに行かない時は必ず妥協点というものを用意する。

 ほとんどの事柄で自分にとって最高の結果になることなんてのはないのだから、

 妥協点というものを用意して最悪それ以下にはならないように努力をする。

 いわば自分がどうしても譲れないところというのが妥協点なのだろう。

 

 じゃあ本当にそうなのだろうか。

 さっきも言ったけどぼくたちは毎日何らかの決断をしている。

 決断をするということはぼくたちの目の前には選択肢が用意されているわけだ。

 問題はその選択肢の中に自分の想定する最高の選択肢があるかどうか。

 もちろん最高の選択肢があれば誰もがその選択肢を選ぶに違いない。

 しかしその選択肢がなければ、

 その選択肢の中で自分にとって一番良い選択肢を選ぶしかない。

 きっと人はそれを妥協というのだろう。

 

 さてここまで話をして気づいた人がいるかもしれないけど、

 ぼくたちは常に自分にとって一番いいカードを選んでいるのだ。

 「妥協して今の学校にした」とか「あれが欲しかったけど妥協してこれにしたとか」

 もちろんそういう風にだって考えるのもいいと思うし、自由だとも思う。

 半分間違いというのは、そのときのぼくたちにはその選択肢が最良だったからだ。

 どれだけ自分の想定する最高の選択肢を願ったってないものはない。

 ならそこで思考を切り替えて、あるものから最高の選択肢を選べばいいだけ。

 そこで駄々をこねたって何も変わらないのだから。

 

 「妥協して何かを決めた」じゃなくて「自分は選べるものから最高の選択をした」

 って考えれば、その選んだものをきっと大事にしようと思う。

 そして何より選んだ自分を受け入れてあげるというのが一番楽になることでしょう。

 こうやって考えるとちょっとは生きやすくなるんだろうな。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

妥協だらけの人生、それは味方を変えれば身の丈以上を望み続ける人生。

帰省?帰郷?里帰り?

・ここ数日はどこもかしこも人が多くて個人的にはうんざりする。

 もちろんお盆休みということだから人が多いことは当然なのだけれど、

 この人の多さにはどうしても慣れない。

 ぼくはお盆と聞くと帰省をまずイメージするけど、どうやらそうでもないらしく、

 知り合いではドイツへ行ってたり、岐阜に行ってたりと自由だ。

 まあ大学生だからこそ盆時期に帰省しないというのもわからなくはない。

 最初にも言ったけど、この時期はただでさえ人が多くてうんざりするのだ。

 夏休みが長いのだから、あえてそんな時期に帰省をする必要がないのだろう。

 

 ぼくは実家に住んでる人だから帰省という概念がないのだが、

 下宿してる人にとって帰省ってどういうものなのだろう。

 やっぱり帰省するとちょっとは安心するのかな。

 自分の知ってる土地に帰ってきたぞ!みたいに。

 ぼくが一週間ほどの修学旅行から帰ってきたときには、

 やっと大阪に帰ってきたというのが第一印象だったかな。

 あとはちょっとの間大阪から出たくないとも思ったね。

 一種のホームシック状態だったのかもしれない。

 

・ここまで帰省って言い続けてきたけど、似たような言葉に帰郷と里帰りがある。

 この三種類の言葉って似ているようで意外と意味が違うの知ってた?

 ぼくは知らないと思ってたんだけど、

 調べてみて「これ前にも調べたわ」ってなったから書いて今日から覚えようと思う。

 帰省はお盆や年末年始の休暇などで一時的に故郷へ帰ること。

 帰郷は故郷に帰って安住すること。

 里帰りは結婚した女性が実家に帰ることと海外移住者が故国へ帰ること。

 このご時世どう言っても大体は伝わるだろうけど、

 意味が全然違うから言い間違えると大事になるかもしれないね。

 

 帰省もそうだけど親の顔は見れるうちに見ておいた方がいい。

 ぼくの親は両方生きてるし、まだまだ元気だけど、

 明日事故や病気で死ぬかもしれないし、逆にぼくが死ぬかもしれない。

 だからチャンスがあるうちに見たり親孝行しておかないといけませんね。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

就職したら転勤で下宿だよなぁって既に心配してます。

昼呑みと青森とりんご

・昨日は8月の第二土曜日ということで恒例の昼呑みをしてきた。

 逆流性食道炎を4月に発症して以来、未だに患ってはいるのだけれど、

 お医者さんに「たまにだったら飲んでもいいよ」と言われてるから安心して飲める。

 もちろん飲まないほうがいいそうなんだけど、

 飲まずにストレスが溜まるとなおのこと良くないらしい。

 身の上話は置いておいて今月のお酒は青森県の田酒だった。

 

 青森というと皆はいったい何を思い浮かべるだろうか。

 りんご・大間のマグロ・ねぶた祭り・津軽海峡とまあ色々あるよね。

 ちなみにぼくはやっぱり「りんご」だったよ。至って一般的だね。

 ちょっと気になって作家を調べてみると太宰治氏の出身地でもあるみたい。

 青森ということで聞くことはあんまりないけど、その筋の人には有名なのかな?

 こういうことを言うと君もその筋の人じゃないの?って突っ込まれそうだね。

 

 そんなわけで今日は青森のりんごのお話。

 りんごといえば青森と長野だけど、実際のところは青森の独壇場なのだ。

 農林水産省のデータによると27年度の生産量は青森が57.9%で長野が19.4%。

 長野の約3倍近くのシェアを誇っているのが青森県

 他にも山形とか岩手とかも生産してるけど1桁台の%しかない。

 そりゃりんごといえば青森、青森といえばりんごとなるのも納得だよね。

 そして更にここから絞ると青森の弘前市が一番生産しているらしい。

 それも他と比べて約6倍近くも多い。

 もちろん理由があって弘前市青森県で初めてりんごの試植を始めたところだから。

 そこで苦労に苦労を重ねて、なんとか成功を収めて青森県内全域で栽培が始まった。

 つまり弘前市青森県のりんご栽培の父なわけだ。

 これからりんごを見るときは県だけじゃなくて市にも注目して買ってみようかな。

 

 たぶん青森に行くことは学生の内はないだろうし、

 社会人になってもなかなかないと思うけど一度は行ってみたいと思う。

 ここまで話をしておいて行って一番楽しみなのは大間のマグロです。

 寒い冬に美味しいマグロを食べながら熱燗で一杯やりたい・・・

 最後の最後でお酒の話に戻っちゃう辺りがぼくらしいね。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

りんごといえば青森って書いたけど、白雪姫の人も居ると思っちゃったよね。