花火大会と浴衣と着物

・昨日は近所の花火大会の日だったらしい。

 らしいと何故伝聞系なのかというと、その時ぼくはバイトをしていたからに尽きる。

 残念ながら誰かとその花火大会に行くなんていうイベントは起こさなかったし、

 なんなら昨日のバイトは普段以上に激務だった。

 「花火あるのになんでこんなに忙しいんだ!」って怒りそうにもなってたぐらい。

 思い返せば花火大会なんていつ以来行ってないのかすらわからない。

 来年こそは誰かと一緒に行きたいなぁ・・・

 

 夏といえば花火大会!花火大会といえば浴衣!だよね。

 そのためにあんな陳腐な前座をつけました。ごめんなさい。

 そんなわけで今日は浴衣の話をしたい。

 まず気になるのは浴衣と着物の違い。

 なんとなくはわかるけど、いざ質問されるとちゃんとは答えられない。

 答えは二つで長襦袢を着るかどうかというのと、寝巻きとして着るかどうか。

 長襦袢を着ないのが浴衣で、着るのが着物。

 寝巻きとして着ていいのが浴衣で、そうではないのが着物。

 確かにホテルで提供されてるのは浴衣だね。

 ちなみに浴衣は礼装ではないから夏でも式と名のつくようなもの着ていくのはダメ。

 あくまで浴衣は略装で、どうしても着たいのなら着物を着ましょう。

 

 さて、じゃあ浴衣はいつ頃から一般的になったのかというと江戸時代だそうだ。

 平安時代の湯帷子が原型とされていて、そこから紆余曲折があって今の形になる。

 そういうわけで浴衣は「ゆかたびら」の略語なんだって。

 元々が寝巻きだからか、

 江戸時代の頃から浴衣は外で着るとするなら身近で気取らない場所でとされていた。

 浴衣での多くの人が集う場所への外出は避けるようにしていたのに、

 夏祭りや花火鑑賞なら良いというのはある意味風流が関係しているとも考えられる。

 それともその時代は人が少なかったのかな?そんなわけないか。

 

 これで浴衣と着物の違いについて外国人に聞かれても説明が出来そうだ。

 説明出来そうで出来なかったことの一つがクリアできた。

 外国人と話す機会がなくても、知ってて損はないだろう。

 何がどこで役に立つかわからないしね。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

花火大会に行かなかったお陰で浴衣と着物の違いを知ることが出来ました。

31回目の更新

・ちょうど今日で31回目の更新。

 つまり一ヵ月毎日何かしらを書き続けたというわけだ。

 一週間経った時にも同じような記事を書いたけど、

 その時と何か変わったかと聞かれると別に思いつかない。

 むしろもう31回も何かについて書き続けていたのだなという感想しかでない。

 一週間経つまでは長かったのだけれど、一ヵ月経つまでは凄く速かった。

 二週間とか三週間とか気にすることなく一ヵ月経ってた。

 この調子でたぶん二ヵ月三ヵ月も過ごすと思うと、それはそれで寂しい。

 

 一ヵ月続けて変わったことはないと言ったけど、気づいたことはいくつかある。

 例えば意識的に起承転結をつけようとしていること。

 昔から起承転結が苦手で、周りから話にオチがないということをよく言われてた。

 つけれるようになったわけではないのだけれど、これを始めてから

 「どうやったら話が纏まるかな」なんてちょっとは考えるようになった。

 850字ぐらいを基本に書いているからそれぞれ200字ずつぐらいで書けば成り立つし、

 さらに言えばそれぞれの200字のなかでも50字ずつで起承転結が成り立つ。

 じゃあ今考えながら書いているかと言われるとそうでもないんだけどね。

 

 他にも世の中意外と知っているつもりの事が多いということにも気づいた。

 りんごって何色?って聞かれると大抵の人は赤と答えるだろうけど、

 世の中には青りんごだってあるわけだ。

 そんなことぐらい知ってる!とは言えるんだけど、

 この前のセミは実は三週間から一ヵ月は生きられるということには言えない。

 むしろセミは一週間しか生きられないと思い込んでたぐらいだ。

 今ではネットが発達して調べるのが簡単になってるのに、

 調べずに知ってるつもりの事が山ほどある。

 そういう意味でもこれを書くために調べるというのはとても面白い。

 

 さてこうやって31回目の更新も終わりを迎えている。

 いつも読んでくれてる人が居てくれるってこんなにありがたいとは思わなかったね。

 ちょっぴりだけど閲覧数を気にしてるのは内緒ですよ。

 それじゃあまた明日の記事でお会いしましょう。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

結局、今日の記事は発見なのか感謝なのかよくわからなくなったよね。

「やりたいこと」と「やらないといけないこと」

・やりたいことをやりたい時に出来るっていうのはとても大切だと思う。

 この前は熟睡したいと思ったからお昼まで寝て、

 掃除をしたいと思ったからお昼から掃除をして、

 飲みたいなぁと思ったから晩に飲みに外へ出た。

 普段からこういう生活を送れていると、不満が溜まることなんてないんだろうけど、

 実際は会社や学校へ行かないといけなかったり、

 課題が残ってたりとかでなかなか自分の思った通りには出来ない。

 そうしてやりたいことをやりたいときに出来る時間というのはなくなっていく。

 そのことに気づくのは本当に過ぎ去ってしまって数十年経ってしまってからで、

 「後悔先に立たず」と言いたくなるような状況になってからなのだ。

 だからといってやりたいことだけをやって、やらないといけないことをしないと、

 結局はその先でやりたいことが出来る時間が減ってしまう。

 つまりはそのあたりの塩梅が大事なのであって、やっぱり優劣をつけるのは難しい。

 

 「じゃあぼくはどっちも手に入れる!」と思った時期もあったけど、

 まさに「二兎追うものは一兎をも得ず」でどっちも疎かになってしまった。

 こうなるとさあ大変。

 やらないといけないことは絶対取り返さないといけないし、

 でもやりたいことが出来ないとやらないといけないことに集中も出来ない。

 そういう時期が何回もあったのだけれど、正直寿命をかなり縮めたと思ってる。

 最近は何を取るのか優先順位を決めて、行動してるからちょっと楽になったけどね。

 

 あとはやらないといけないことをやりたいことに変えてしまうのも一つの手だね。

 逆のパターンもあるわけだけど。

 こうすると二つの事が一つの事になるからまさに究極の一になる。

 問題はじゃあそれをどれだけの人が実践できるのかというところにある。

 たいていの場合やりたくないからやらないといけないことで、

 やりたいからやりたいことであるのだからそれが一緒になることはそうそうない。

 それが出来たら人生困らないのになぁと思いながら、最近は朝頑張って起きてます。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

やりたいことだけ出来る人生はそれはそれで楽しくなさそうですね。

日本酒という趣味のお話

・今日は趣味でもある日本酒の話をしたいと思う。

 急になぜしようかと思ったかというと、

 元々しようしようと思ってたのもあるのだけれど、

 先日バイト中に薦めたお酒を気に入ってもらえたのが大きい。

 本当は他人に薦められるほどは飲んでもないし、

 日本酒の事に精通しているわけでもない。

 店長が「君なら何を薦める?」って聞いてくれて、

 「それならいいね」と太鼓判を押してくれるからこそ薦められる。

 いわゆる見習いバーテンダーみたいなものだ。

 

 話を日本酒の話に戻そう。

 日本酒っていうとお父さんとかが飲んでる堅いイメージがあると思うけど、

 今はスパークリングの日本酒とか若い子や女性向けの甘い日本酒も増えてる。

 

 日本酒は日本酒度で甘口辛口を決めるのだけれど、実際はその限りでもない。

 日本酒度は辛口だけど甘かったり、その逆もあったりする。

 しかも「辛口だけどフルーティー」とか「甘口だけどキリッとしてる」まである。

 数値だけでは測れない要素が折り合って日本酒は出来上がってるのだ。

 

 じゃあ同じ銘柄のお酒だと同じような味なのかというとこれも違う。

 使うお米や使う酵母、しいては精米歩合によって味が大きく変わってくる。

 Aという酒米だとベタっとした甘さだったのに、Bだと甘いけどスッキリとかね。

 そしてこの精米歩合っていうのがいわゆる吟醸とか大吟醸とかの名前の違いになる。

 一応精米歩合は小さいほうがより値段は高くなって希少性は高いけど、

 じゃあ実際小さいほうが美味しいのかと言うとそこは人それぞれ。

 合わない時はとことん合わないからね。

 

 さてここまで蘊蓄を色々と語ったけれど、知らなくても十分楽しめる。

 どれだけ知ってても飲まないとわからないことだってあるからね。

 知ってればもっと楽しめるっていうだけだから、まずは飲んでみて欲しい。

 色んな日本酒をそのままでも、また色んなおつまみと一緒に飲んでみて、

 これは好き!とかこれは嫌い!からたくさんのことを知ってくれると嬉しいです。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

今は体調的にあんまり飲めないから多く語っちゃった。

台風と僕らの進路

・浪人生だったころに、ふとTwitterで流れてきた画像の話。

 あるニュース番組で下にはTwitterのコメント欄があるのだけれど、

 そこに「いいよなぁ、台風は進路が決まってて・・・」とあった。

 その時はぼくも「本当だよな。羨ましいよなぁ。」なんて思ってた。

 進路が決まってたら悩む必要もないし、心穏やかに先を見越して過ごせる。

 受験生や浪人生にとってはこれほどありがたいことはないだろうと今でも思う。

 彼らは勉強することにも疲れているのだろうけど、

 それ以上にこのままで大丈夫なのだろうかとか、

 第一志望はどこを受けようとかで精神的に疲れる方が多いからね。

 

 ここまで浪人生時代の感想を述べたけど、最近はちょっと違う。

 大学に入って、あの頃を振り返ると必要な悩みだったんだなぁと。

 進路が決まってしまっていて、進路について考えないとなると、

 どこかで「この道は自分が選んだ道じゃない!」ってなってしまう。

 でも真剣に考えた上で進んだ道なら失敗しても責任が持てる。

 「この道を選んだのは自分だから、ここまでは頑張ろう」っていう風に。

 

 それに自分の人生について向き合うというのは非常に大切だ。 

 自分の進路を決めてくれる人が常に身近に居ればいいけれど、

 そんなことはありえない。

 いつか必ず自身で進路を決めないといけない時がやってくる。

 その時になってから後悔しても遅いのだ。

 つまり高校選択や大学選択っていうのはある意味練習にも近い。

 大体これを決めるときにはサポートしてくれる人が居て、

 調べ方や決め方を教えてくれる。

 この方法を知ってるか知らないかが自分で決めるときに重要になる。

 

 パスカルが「人間は考える葦である」と言ったけれど、本当にその通りだと思う。

 考えず本能で生きている人というのはある意味で動物と一緒なのだ。

 時には本能に従う時も大事だけれど、人間には理性というものがあって、

 思考することが出来る動物なのだからちゃんと考えなければならない。

 それが自分の事ならなおさらに。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

この考え方が就職活動中にも出来たらいいなぁと思ってます。

平日散策のすゝめ

・どうやら歩きすぎたようだ、足が凄く重い。

 足が棒になるとはまさにこの事なのかと痛感している。

 普段から時間がある日は一駅分くらいは歩くようにしているのだけれど、

 それにしても今回は歩きすぎた。距離にして7kmちょっと。

 調べてみるとウォーキングの最大効果が7~8kmらしい。

 今でも十分痩せてるのに、これ以上痩せると不味いね。

 ちょっとした運動にしてはやりすぎたみたいだ。

 

・というわけで今回は明石と三宮を散策してきた。

 散策と言っても目的のある散策で、どちらかというと目的地を目指す旅だった。

 いわゆる聖地巡礼ってやつだ。

 なんとなくモデル地ってどこなんだろうと思って調べたら、

 凄く近場だったから行きたいとは思ってたのだけれど時間がなくて行けなかった。

 とはいえ調べた手前どうにかして行きたいなぁと思ってたら、

 ちょうど平日に休みが取れたから行こうと思ったわけ。

 

 平日の散策って言うのはすこぶる楽しい。

 まず電車に乗ってもほぼ必ずと言っていいほど座れる。

 平日の真昼に行ったもんだから、電車の中が空いていて外を見ながら座れた。

 次に目的の場所にもよるけど、たいていの場合人が少ない。

 観光名所ならいつでも多いけど、ニッチな場所の場合平日はやっぱり少ない。

 そうなるとゆっくり観察出来るし、写真の撮影もとてもしやすい。

 最後に他の予定と被りにくい。ここが一番重要で、

 平日の休みって基本的に周りと合いにくいから自分の予定を立てても崩れにくい。

 どうしても他の予定と被ると自分の予定って蔑ろにしがちだよね。

 

 本当は散策の中身の話をしようかと思っていたのだけれど、

 平日の散策の楽しみ方を書いていたら文字数がいっぱいになってしまった。

 まぁ散策の中身の話はまた今度すればいいや。

 この記事を読んで面白そうだと思ったら、平日の散策をぜひやってみて欲しい。

 一人旅が好きな人は絶対にハマるし、そうでない人もきっと心が躍ると思うから。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

好きなものを追いかけてる時って、疲れすら忘れますよね。

バイタリティに溢れたい

・何をするにも体力がいる。そんなことに気が付いたのはここ最近だ。

 ここでいう体力というのは身体的なものというよりは精神的なもの。

 そうすると体力というよりはバイタリティという方がしっくりくる。

 体力がないと動けないんだけど、

 バイタリティがないとそもそも動こうとすら出来ない。

 まぁバイタリティがない状態っていうのは

 ガソリンタンク自体がなくなってしまっているようなものなのかもしれない。

 

 じゃあバイタリティを高めるにはどうすればいいのか。

 それには色んな方法があるのだけれど、基本的には2つに分かれる。

 一つは欲、つまりどうしてもやりたいことをみつける。

 この場合のやりたいことっていうのはなんでもよくて、

 美味しいごはんが食べたい!とか将来こういう風になりたい!

 もしくはあの子と付き合いたい!でもいいわけ。

 どうしてもやりたいこと、欲しいものが決まると人間は意外と頑張れる。

 結婚した人が仕事をめちゃくちゃ頑張ったりするのも一例だね。

 家庭を守らなきゃ、大切な人を守らなきゃっていうところから

 仕事を頑張ろうっていうバイタリティが出てくる。

 だから多少の事があっても彼らは仕事を頑張れる。

 

 もう一つは安定、つまり心の均衡。

 どれだけやりたいことがあっても心が荒んでしまっていてはどうしようもない。

 怒りに任せて行動を取れば失敗に終わり、悲しみに溢れていては行動すらとれない。

 喜びにかまけていては大切なものを見落とし、

 楽しいことだけをしていても本当に欲しいものは手に入らない。

 どれか一つではなく、それぞれを満遍なく持っていないと上手くいかないと思う。

 均衡に保つことでそれぞれが良い役割を果たしてこそなんだろうね。

 

 歳をとると一気に認知症になるのは一つ目の方がなくなるからだし、

 若い人が鬱になりやすいのは二つ目が均衡を保てなくなるからなのだろう。

 なんにせよバイタリティがないと、どこかがおかしくなってしまうのだ。

 日々バイタリティを高めることが、今後のぼくらの最重要課題かもしれない。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

ぼくらのステータスもゲームみたいに一目で見れたらいいのにね。