異国の民の友達

・タイトルを仰々しく書いたけど、別に異国の民の友達がいるわけではない。

 むしろ友人からはお前の方が異国の民って言われてもおかしくないと思うぐらいだ。

 じゃあなんでこんなタイトルにしたかというと、

 昨日の友人との話でそういう話をしたからにすぎない。

 でも意外とこういう考え方をしている人は多いと思うから書いてみようと思った。

 それ以上でもそれ以下でもない、ただそれだけのお話。

 

 事の始まりは友人が別の友人に怒っていることからだった。

 どうやら別の友人が待ち合わせ場所に着けないようで怒っていた。

 自分が出来ることを他人に要求したらいけないと思いつつも、

 彼の中では難易度がとても低いことだったから怒ってるらしい。

 その気持ちはすごくわかるのだけれど、

 ぼくの場合は怒るのではなく「彼には難しいことなんだな」と思ってしまう。

 ここで重要なのは、前にも話をした普通という概念だ。

 

 ぼくと別の誰かの間にたくさんの共通点があっても結局は別人だ。

 そうなると出来ることだって違うし、認識の仕方も大きく変わってくる。

 ぼくが電車の乗り換えなんて普通に出来るでしょと言っても

 慣れてない人は出来ないし、もしかしたら電車に乗ったことがないのかもしれない。

 ちなみに小学校の時に周りは普通に逆上がりが出来てたけどぼくは出来なかった。

 それを「なんで君/ぼくは出来ないの?」と怒っても仕方がない。

 練習して何とかなるものなら後でしたらいいけど、現状出来ない事は出来ないのだ。

 まずはそれを受け入れることから始めてみないかい。

 

 そういうわけだからぼくの周りはみんな異国の民なのだ。

 ぼくはぼくという国の人間だし、別の人は別の人の国の人間だ。

 それぞれ得意や苦手があって出来ることや出来ないことがある。

 だから自分には出来る簡単な事でも彼に出来ないことはあって当然で、

 それを怒ることはアメリカ人にお箸を持てないことを怒るようなことだ。

 みんな違ってみんないい。

 そういう風に生きることが出来ると凄く心が軽くなると思う。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

あまりに酷い時は遺憾の意を表明しないといけないよね。