今日の雑感記事

・最近どうにも理解しがたいことがぼくのまわりではよく起きる。

 UFOが飛んでるとか、幽霊が見えるとか、物が勝手に動くとかいうような

 超常現象的な話ではないことだけは先に言っておこうと思う。

 理解しがたいとは言っても、ぼくの中で理解しがたいだけで、

 きっと読者の中には理解できる人だって居るとは思う。

 それは例えば食事中にくちゃくちゃ音を立てることだったり、

 犯罪スレスレの行為をSNSで公開することだったり。

 

 それを糾弾しようとは別段思わない。

 糾弾したところでその人が変わることはありえないだろうし、

 むしろ逆恨みされる可能性だってある。

 それにその行為自身が別に悪いことなわけではないし、

 あくまで「ぼく」には理解しがたい事案であるからだ。

 もしかしたら別の国や別のコミュニティではそれは普通で、

 そんなことをしない「ぼく」が理解しがたい異質な存在なのかもしれない。

 そうすると出てくることは自ずと一つになる。

 それは「そういう人も居る」という風に受け入れることだ。

 

 理解するという事と受け入れるという事は全く別物なのだ。

 きっと飛行機が飛ぶ理論を説明されたってぼくらには理解は出来ないのだろうけど、

 それでも飛行機が飛ぶことは受け入れることができる。

 それと同じように人間に対しても接すればいい。

 色んなことをする人が居て色んな風に感じる人が居る。

 もちろんルールは守らなければならないけれど、

 ルールの中でならそこに間違いなんてものは存在しない。

 だからこの世の中には理解できない人が居ても当然。

 

 その人は正しいと思ってその行為をしている以上、ルールの範囲内であれば

 そういう人に過ぎない。

 その人に怒ったりしても、それはぼくらの受けた感情に従って怒っているだけで

 全く理論的ではない。

 ならそんな無駄なことはやめて理解出来ないものは理解出来ないまま置いておいて、

 受け入れてしまえばいい。

 なんでもかんでも受け入れろとは言わないけれど、その方が断然生きやすくなる。

 だって何があっても「そんなこともある」で済ませられるのだからね。

 

今日も読んでくださりありがとうございます。

ぼくのこの考えも「そんな考えもある」ぐらいに思ってくれたら嬉しいな。